唐草センジュの死ぬ気でボスラッシュ

いわゆるコラムだモラトリアムだ椎名林檎だ解散だ。不定期更新。

90年代のゲームキッズ達に捧げるゲームボーイカラーへの鎮魂歌

 

「あまりこういう事ばかり言うと老害呼ばわりされてしまう事があるけど、そんな事言っても事実なのだから仕方が無い…

『よく人にいう「スペースハリアーがなぜあそこまで当時のプレイヤーを惹きつけ、そしてあれほど移植されたのかは、当時のプレイヤーでなければ分からない」のと同じ』」

 

昔のゲームの話。

スペースハリアーというのは1985年のゲームで、詳しい事はwikipediaに書いてあるので説明は割愛するとして。

これは私のフォロワーであるオトナのゲーマーさんのツイートで、これを見たとき私はもうそれはひどい衝撃を受けて、しばらくウンウンと頷いたり「そうだよなあ……」と呟いたりしてた。

私が最近よく友人と話している話題で、「あの頃のゲームに感じていたワクワクとか感動とか面白さとかって、時が経つにつれて思い出に変わっていくんだね」つーのがあるんですけど、今日の早朝にツイッターで垂れ流しにしてたことか、ちょっとそれについてまとまった文章とか書いてみようと思う。

 

私たち90年代に生まれたゲームキッズって、ゲームボーイカラーゲームボーイアドバンスになってポケモンのルビー・サファイアを遊んだ時の衝撃だとか、64がゲームキューブになってもうめちゃくちゃ画質も上がってスマブラDXを遊んだ時の感動だとか、きっとそういう気持ちを抱いたと思う。

少なくとも私は「ああ、時代ってすごく進化してるんだ」って確かに思ったんだよ、あの時。

ゲームボーイアドバンスゲームキューブ、共に2001年発売。

ついでに言うならプレイステーション2、2000年発売。

そうなんだよ。もう13,4年前なんだよ、アレ。

私の感覚としては比較的最近の事だと思ってたんだけど、それは全然違った。

今でもハッキリと思い出せるあの気持ちって、それはもう思い出だったのだ。

 

この前実機(初代GBA)でポケモンのエメラルドを起動したんだけど、流石に入れてた電池が切れてて乾電池を探したりなんかして、その『遠回り』はあの頃を思い出させてくれたりなんかして。

そう、そもそも電池式なんだよGBAって。

最近は充電式の携帯ゲーム機が主流になってきたからすっかり忘れてたけど、充電式って全然当たり前じゃないんだよ。というか、当たり前じゃなかったんだよ。

ともあれ電池をセットしてソフトも挿したし、いよいよ起動。

画面が暗くて何も見えない。

もう見づらくて見づらくて、しばらく悪戦苦闘してたんですが、そうなの。

初代GBAって光の下でやらないとまともに画面が見れないの。そりゃ眼も悪くなるわ、っていうレベルの画面の暗さなの。

だからこそGBASPの明るさなんか自分の中で革命的だったし、しかも充電式って事でもうとってもテンションが上がったのだ。(ただしGBASPボクらの太陽が遊びづらい)

で、ここからワイヤレスコネクタだのゲームボーイミクロだのDSだのDSliteだのPSPだのDSiだのWiiだのPS3だの3DSだの、とテンション上がりっぱなしだったんだけど全部書いてると終わりがない気がして来たし、発売年を考えると懐かしさに押し潰されそうな気もするからスルーする。

 

でもさ、この感動っていうのは、あの頃にリアルタイムであのゲームたちを遊んでいた人間にしか分からないものなんだよな、みたいな話なんだよね。

これは「どうせお前らチビッコには理解できないよ」みたいな意味なんじゃなくって、「分かってくれたら嬉しいんだけど、難しいよなあ……」みたいなニュアンスで。

もしかすると、一つのジャンルに対する感動体験を共有できるのは、歳が離れすぎていなくて趣味や波長が合う人だけなのかもしれなくて、もしそうだとしたらそれはとても寂しいと思う。

もちろんその孤独がどの世代にも同じかそれ以上くらいあるものなのは分かっている。例えばそれこそ冒頭のようなウエの世代にも、ゲームボーイカラーを知らないシタの世代にも、私たちには分からない感動っていうものがあるんだろう。

私は偶然にもニンテンドウ64と同い年なんだけど、世の中にはニンテンドーDSと同い年の子供がいるのだ。いや、当たり前なんだけど。

ニンテンドーDSニンテンドー3DSになった時のワクワクとか衝撃とか感動とかっていうのは、きっと私たちが感じたそれ以上の物だったんだと思う。

ニュージェネレーションはいつの時代もすぐそこにやってきているのだ。

 

それでも本音を言っちゃえば、DSなんかもう夢の詰まった未来のゲーム機だった、みたいなことをシタの世代に分かってほしいなあと私は思ってしまう。それを強要したらそれこそ老害と呼ばれる存在になってしまう気がするから絶対にしないけどね。

(しかしこれがたま~にこの感覚に強く興味を持って聞いてくる子供っていうのがいるからなかなか新世代も侮れないんだ。やっぱりこれは純粋に嬉しい)

 

「俺たちがこうして話してるこの場所だって、ちょっと前までは海だったんだぜ。それが数年後には、目の前のこの海に巨大な街がうまれる。でもそれだってあっという間に、一文の値打ちもない過去になるに決まってるんだ。たちのわるい冗談につきあってるようなもんさ」 劇場版パトレイバーより抜粋

いや、ここまで悲観的にものを見てるわけじゃないけれど、後藤隊長のこの言葉は何となく私の思ってる事に通ずるものがある気がする。

いつの時も変わることなく、今っていうのはどうしたって過去になる。

当たり前だけど、どんなに寂しくても、絶対に過去になる。

今の子にだって過去が出来ていくんだろうし、私たち90年代のゲームキッズにだってどんどん過去が出来ていく。

時を経た感動は思い出になる。

思い出になるって、もしかすると色褪せるってことなのかもしれない。もちろんそれだけとは言わないけれどね。

でも私はとにかくそれが寂しいんだけれど、その思い出を大切に大切にして、あの頃抱いた気持ちを出来る限り新鮮なままに覚えていたいと思った。

 

まあ、そんな難しい事はこのブログに置いといて、しばらくは何も考えずにゲームで遊ぶことにしよう。

ゲームは決してノスタルジーに浸るためのものではなくて、楽しく遊ぶためにあるものだ!

当面はカービィWiiのクリアを目指そう。